本日は、ブック・コーディネイターとして活躍されている内沼晋太郎さんにお話を伺います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
内沼さんは学生時代から本に関心をもち、現在は自ら創りだした「本の面白さを伝える」仕事を数多く手がけています。ですが、好きなことを仕事にするのは、羨む人は多く実行に移せる人は少ない生き方ですよね。そこで内沼さんにこれまでの人生を振り返ってもらいながら、好きなことを仕事にするためのヒントをもらえたらと思っています。
まず、学生時代のことから聞かせてください。大学は一橋大学の商学部。現在はレーベルを立ち上げてビジネスをしているわけですが、昔から「将来、ビジネスをやる」というイメージがあったんでしょうか。
いえ、そういうことはなくて。もともと僕、高校生のときはミュージシャンになりたかったんですよ。一見、ビジネスとは無関係ですよね。
でも、ビジネスというものに目が向いたのもミュージシャンになりたかったからこそで。一般的に、音楽やるっていうと売れないとか食えないとかいうイメージがあるじゃないですか。でも単純な話、食えなくなるのは嫌だったんですね。そんなときに自分のなりたいイメージとして、小山田圭吾っていうミュージシャンがいました。彼は「コーネリアス」っていう一人ユニットで活動しているんですけど、やりたい音楽をやって、世界中にリスナーがいて、きちんとした評価を得ている。そうやって音楽的に成功している一方で、トラットリアという自身のレーベルも主宰していたりする。そのことがなんというか、きちんとビジネスになっているように見えたんですよね。高校生の僕にも。
マニアックで好きなことやっているようなのに、それがきちんとビジネスになっているミュージシャン。それが自分のなりたいモデルだなって思ったときに、いい音楽をつくるのはもちろんだけど、ビジネスもできるようにならなきゃいけないだろうと思ったんですよ。それで、音大とか美大とかではなく、普通の大学、なかでも商学部を選んでいましたね。
高校生なのに、戦略的な夢の追い方ですよね。
いや、もちろんこういうふうに言葉にできるようになったのは、大人になってからですけどね(笑)。進学校だったので、音大とか美大に行くことの親の反対とかも、単純な理由としてはありました。
あ、なるほど(笑)。
でも、そうやって入った一橋でビジネスの勉強したのかっていうと、結局はしていないんですよね(笑)。まぁ高校生から見る大学と、実際に大学生になってからの大学って、全然感じ方が違うじゃないですか。要は、大学の授業に出てもビジネスができるようになるわけじゃないんだなっていうことに気づいて。授業出るよりは、実際に活動してみたほうが大事なことに気がつくんですよね。だから、大学の授業を受けるよりもアルバイトとか、自分で何か活動している方が楽しかったです。授業がつまらなかったのも大きいですが(笑)。
どんな大学生活だったのか気になります。
多分、大学生のときから既に、あまり今とかわらない生活なんですよ。ざっくりと、編集らしきことをいろいろやっていましたね。
ちなみに大学2年くらいのときにミュージシャンになることは挫折しました。あるとき、自作のCDと自分の好きなCDを客観的に聴き比べて、どっちを買うかって考えてみて、自分のCDじゃないなと思ったんですよ。「自分が買わないのに誰が買うんだ」って、ミュージシャンとしての才能に気づいて見切りをつけたんです。でも軽音楽部は4年間続けたし、音楽は今でも好きでやっていますけど。
当時から音楽以外にも、いろんなことに興味を持っていました。大学1年のときは広告が面白いなと思って。商学部で文化的なことに興味があると、広告に興味が向かうっていうのはありがちだと思うんですけど、僕も多分にもれず(笑)。僕の大学には当時、広告研究会みたいなのがなかったから、友達と2人で広告サークルをつくりましたね。そこでは他のサークルから依頼を受けて、新歓とか学祭の広告をつくったり、フリーペーパーみたいなのをつくったり、どっかのサークルがだしている同人誌の表紙のデザインをしたり。それと同時に、雑誌のサークルにも入って、編集とかやっていました。
でも大学3年くらいになると入っていた雑誌サークルの先輩が抜けて、僕が編集長になるような代になって、同じ名前でやれることに限りがあるなと思ったので今度は自分で一から雑誌をつくろうと思ったんですよ。それで、自分のサークルをつくりました。ページ番号の代わりにURLが入っていて、URLをクリックするとそのページごとに対応したコンテンツがインターネット上にある、というコンセプトの、アートブックみたいな、壮大な雑誌をつくっていました。当時はまだインターネットって、ダイアル回線が主流だった時代なんですよ。そんなときに、これは斬新で面白いと思っていたんですよね。ですが、完成目前というときにアートディレクターのやつのハードディスクがクラッシュして消えちゃって(笑)。で、大学生だからみんなそこでやる気が無くなってうやむやになって…。
それは立ち直れないですね(笑)。
いろんな人に頼んだ原稿とか本当に申し訳ないことをしたんですけど。そんなことと並行して、勉強としてやっていたことといえば、ゼミは結構ちゃんとやっていましたね。一橋では阿久津聡先生のゼミでブランド論を。あとモグリで慶應のSFCの福田和也先生がやっている雑誌と小説のゼミ。
それから、大学2年と3年のあいだくらいに、後藤繁雄さんがやっているスーパースクールっていう編集の学校に1年くらいいきました。そのスクールは脈々と続いていて今もやっているので、卒業生のつながりも強くて、今僕が一緒に仕事をしている人にもそこの出身の人はたくさんいます。
だからまとめれば、勉強していたのは、一橋でブランド論をやって、SFCの福田研で雑誌と小説、スーパースクールで編集。その他は、バンドをやったり、サークルの活動で作品をつくったり、雑誌はつくったけど残念ながら世に出なかったり(笑)。ビジネスの勉強なんて全然しないで、興味あることをどんどんやっていたという感じですね。
雑誌をつくり始めたのが3年生なら、その頃に就職活動も始まっていますよね。
そうですね。そのときはやっぱり、本に関することがやりたいと思っていましたね。きっかけは雑誌をつくる過程で、出版の流通のことがわかったことなんですよ。例えば雑誌を売るには、ただ本屋さんにもっていけばいいんじゃなくて、出版社を通さないといけないこととか、取次という卸業者がいることとか。それで「出版業界って面白そうだな」と思って、業界本とかも読み始めましたね。業界の中でも、最初はサークルの延長で雑誌の編集に興味があったんですけど、いろいろ調べるうちに本のインフラの方に興味が移っていきました。
どうして、編集から興味が移っていったんでしょうか。
当時、若者の活字離れってすごく騒がれていて。でもそれって誰が悪いのかっていうと若者自身じゃないと思っていたんですよ。例えば若者がテレビばっかり観ている、ゲームばっかりしているっていうのは、テレビとかゲームが面白くてすごいからなんですよ。
それに対して本が面白くないと思われているから悪いんじゃないですか。
もちろん本も面白くないわけがないんですよ。それなのに、こういう状況になっている。それは本をつくっているやつら、本を世の中に出しているやつらが悪いんだなって思ったんですよね。「本の面白さを伝える」ということを真剣に考えないと本を読む人は増えないし、そのためのきっかけをもっと与えないといけないのに、出版業界は長いあいだ制度に守られて、完成された仕組みのなかでリスクの少ないビジネスをしてきた。つまり本が売れないのは、つくる側、売る側が怠けていたのが悪いのであって、僕たち若者のせいじゃないと思ったんですよ。で、同時に「本の面白さを伝える」仕事がどこかにあるはずだと思うようになったんですよね。
それが本のインフラなんですね。当時、「本の面白さを伝える」仕事は、具体的にはどんなものだと考えていたんでしょう。
多分、僕の中では具体的な未来はみえてなかったですね。
出版業界の仕組みを変えるような大きな仕事だとぼんやり思っていました。でも「本の面白さを伝える」仕事をきちんとやらないと、世の中から本がなくなっちゃうんじゃないかという危機感はありました。
それで、いろいろ探していたら、展示会を主催する会社を見つけました。その会社はいろんな業界の見本市を主催するんですけど、そのうちの一つに出版業界で一番大きな見本市がありました。たくさんの出版社がブースを出して、主に書店さんがお客さんとして集まるイベント。
普通は本を売るときには、書店さんと出版社のあいだに、いわゆる取次っていう存在がいるんですけど、このイベントはそれを飛び越えて書店さんと出版社が直接交流できる場をつくっているから、ある意味で業界を変えるような試みをやっている、「本の面白さを伝える」仕事につながる可能性があるなと思ったんですよ。就職活動の面接でもこんな話をして、その会社に採用してもらいました。
面白そうな会社ですね。そういえば、そもそも本への興味はいつ持ち始めたんですか。
どうなんですかね。よく聞かれるんですけど、中学生くらいから小説をまともに読むようになって。でも当時から、本だけじゃなくて、音楽とか演劇とか美術とか、そんなものを吸収するのが楽しかったんです。本格的にそういうものにハマったのは高校に入ってからかな。それで大学に入って音楽に挫折したときに、なぜか雑誌に興味がいったんですけど、それは多分、雑誌自体がすごく好きという気持ちよりは、そのとき好きだった音楽や演劇がコンテンツとして入れられるのが雑誌というフォーマットだったからなんですよ。
なるほど。本や雑誌には、“いれもの”としての魅力があったんですね。
そうですね。僕は多分、いろいろなものを入れる全体としてのハコみたいなものに興味があるんです。就活のときは実は、出版業界や広告業界の他に、不動産系も受けていました。本とは無関係に思われるでしょうけど、都市開発は面白いものを入れ込むための仕組みをつくる仕事、みたいなイメージで。多分そういう意味で、本も都市開発も、コンテンツをおもしろく伝えるためにあるハコで、そういうものに興味があったんですよね。
しかし内定をもらった会社は、2ヶ月で退社という選択をされています。
うーん、そうですね。大学生のときの僕が、とにかく頭でっかちだったんですよ。さっきの進学先の話じゃないですけど、「一橋大学の商学部に行けば、ビジネスができるようになる」って高校生の僕は思っていましたけど、実際にはそんなわけないですよね。それは大学を会社に置き換えても一緒で、「こういう会社だから、こういう仕事をしてこういう人になりたい」っていうのは、現実的じゃないんですよね。
どんなイメージのズレがあったんですか。
例えば僕は、最終的に「本って面白いですよ」っていうことを伝えるための仕事がしたかったわけですよね。だからその会社に入ったのは、そのための第一歩にしたかった。そこでどういうことができると思っていたかというと、一つは人脈みたいなものが得られるというか。
そこで営業する相手というのは、ブースを出すための大きなお金を動かせる人なので、経営者とか、決定権のある人なんですよ。つまり出版社のなかでも、普通はいきなり会えないような人に会える。それからいろんな書店にも営業に行くので、面白い本屋さんに会えるかもという期待もありました。
そういう人脈をつくり、出版業界というものを引いた目で見ることによって、将来やりたかった「本の面白さを伝える」仕事をやるために必要な知識が得られると思っていたんじゃないかと思います。
実際にはそうはいかなかったわけですね。
2ヶ月でやめてしまったのでなんともいえませんが、続けていればそれなりに人脈をつくれたかもしれませんね。でも、「ここでつくった人脈は、多分将来やりたいことには活きないな」とも直感的に思っていました。確かに、入社してすぐに出版社の人とか、出版業界の新聞の記者さんとかに会えました。でも当然ながら、彼らは僕を見本市の会社の社員としてしか見てないわけですよね。つまり、その人脈は展示会ビジネスをやっていく上では活きますけど、違う目的では活きないんですよ。
多分、その会社の社員である僕が、会社を辞めて違うことを始めるっていったら、やっぱりその人とのビジネス上の関係は一からになってしまう。その人たちとは、もう一度「出会い直さ」ないと、人脈として意味が無いんですよね。
「出会い直す」、ですか。面白い表現ですね。
高校生のときと一緒で、当時はそんなに細かいところまで考えて行動していたわけではないですけどね(笑)。まあ、やめた理由をもっとストレートにいえば仕事の環境でした。「仕事の内容よりも、仕事をする相手や環境がこんなにも大事なんだ」っていうことに、入社して始めて気がついたんですよ。
入った会社は、はっきりいって少し偏った会社でした。どこの会社にも多かれ少なかれカラーがあって、その会社のカラーに自分が染まれば、すごく楽しいんです、きっと。だけど僕にとって、たまたまその会社のそれは、染まりたい色じゃなかったし僕はその色に染まれなかった。
みんなそうだと思いますけど、学生のうちは何をするにしても友達とやるんですよね。サークルとか、ゼミって同じ興味のもとに集まっている集団だし、嫌だったらいつでもやめられるし。僕はそういう集団でしかものづくりをしたことがなかったから、会社に入ってみて、友達ではない人、友達になれそうにない人たちと一緒にものをつくることが、相当につらいことだということに初めて気づいたんです。
実は僕、説明会のときからその会社は、会社の人と気が合わなそうなことに薄々気がついていたんですよ。でもやっていることには興味があったから、社風には目をつむっていたんですよね。ただ、同期の仲間は奇跡的にすばらしかった。入社前に全員で旅行にいったりして、すごく楽しかったんですよ。だからまあ頑張れるかなと思っていたんですけど、やっぱり無理だったという(笑)。
新卒で入った会社を2か月で辞めることに対する恐怖は感じていなかったんですか。
もちろんあったんですけど。辞めることの恐怖を支えてくれていたのは、そのときまだ22歳だったということです。
僕は6月生まれなので23歳の誕生日の直前に辞めたことになりますね。今でも「第二新卒」っていう言葉ありますか?つまり、25歳くらいまで再チャンスがあるじゃないですか。だから、とりあえず2年間一人で頑張ってみて、ダメだったらもう一回25歳のときに就活すればいいやと思ったんです。もちろん、次に就職するときは、一回会社に入ってすぐ辞めたやつっていう烙印は押されるんですけど。でもその2年間で意味のあることをやれば、どこかの会社に入れると思ったんですよ。
辞める時点で、辞めた後どんな仕事を始めるか決まっていたんですか。
えーと、インターネット上で古本屋さんをやるというのは決めていました。でも決めたのは、辞める1週間前くらい(笑)。本屋さんにいったらあったんですよ、ネットで古本屋をやろうみたいな本が。「あっ、これできそうじゃん」と思って(笑)。だから、古本屋さんをやりつつ、いろいろ考えて、25歳までに“なにものにも”なれなかったら、また就活をしようと。
じゃあ会社を辞める恐怖感は、一人でやっていく自信というよりは、25歳までの第二新卒のボーダーまでならいわゆる普通のコースに戻れるという安心感が支えていたんですね。
そうですね。いくら学外でいろんな活動をしていたといっても、学歴社会的な価値観は刷り込まれていましたから、当時の僕としてはそれが大きかったです。もちろん辞めることへの恐怖って確かにあったんですけど、なんというかそのまま働き続けることのほうが怖かったんですよね。もし入った会社で3年間働いて25歳で他のことをやろうと思うと、当然ですけど転職ってことになるじゃないですか。すると、前の会社で何をやってきたかが問われることになるわけです。
入社してからの2ヶ月間って、僕は「出版業界を変えたいです」って生意気言って入っちゃったので、ブックフェアの担当にしてもらえたかわりにどんどん仕事が振られていたんですよ。そうしたら全然家に帰れなくなっちゃって。深夜まで仕事して、会社の近くの先輩の家で寝て、朝になったら会社に行って。とにかく必死に働きました。2ヶ月経ったときには誰が見ても顔色が悪くて、体力的に限界だったんですよね。そのとき、ここでこのまま働いていくってどういうことだろうってふと考えて、よそで「こういうことやってきました」って言えることがまったく身につかないと思っちゃったんです。先輩とか見ても、あんまり目標にできるような人もいない。今となっては失礼極まりない話で、実際はそんなことはなかったとは思うんですが、そのときの僕はそう感じてしまった。
つまり、辞めることへの不安はもちろんあるんだけど、このまま仕事を続けたところで、“なにものにもなれない”っていう不安のほうが大きかったですね。
もともと「本の面白さを伝える」仕事をするという大きな目標があったわけですもんね。
でも、結局辞めることになっても、就職は一度はしたほうがいいと思うんですよね。僕は2ヶ月で辞めていますけど、最初から入らなかったほうがよかったかというと、そんなことはないんですよね。スーツ着て毎日会社行くっていう経験があるのとないのとでは全然違うので。